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新しい日常

自粛で街に人が居なかったので確実に感染者が減った。

舌の根も乾かぬうちに解除だ。

すでに子どもの学校は始まり、会社も少しずつ動き出す。

正しく恐れろ

を実践しながらも

社会活動だ

コロナとどう付き合うのか

油断は禁物だ

この数ヶ月行ってきた

行動を緩めずに

続けることが

社会全体に求められる

自分だけが守っていても

ダメ

みんなで同じ方向をむいて

ひたすら頑張ることが

世界基準として

できるかがキモだ

ソーシャルディスタンス的に、世界中がつながろう。そしてコロナに勝つのだ‼︎

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大動脈解離A型 仕事復帰②

仕事に復帰してから10日過ぎて、傷が痛みだした。少し飛ばし過ぎたかと反省し病院に行ったところ、神経痛?とのこと。びっくりしたのと同時に心臓関連ではないので安心した。

 

なので今までと同じような過ごし方で大丈夫だ。良かった。急展開で緊急手術に対するトラウマがあるのか、少しの事でビビッてしまう(-_-;)

 

仕事に復帰し23日経過。血圧が急上昇した。ストレスからか少々イライラしたのが原因だ。ということは、もともと血圧が上110下70くらいで推移しているのが、イライラすると上140下90位にこれまでもなっていたのか。

 

その上下動が血管へ負担していたのではと推察される。この10年間は大きなチームを二つも任されて多いときで部下が100人という時もあり、ストレスは相当であった。

 

ストレスからの血管障害ではないのかとも思う。労働災害ということは出さないが、やはりストレスコントロールはしっかりと行なわなければ死と直結なんだとつくづく思う。

 

血圧がストレスコントロールが原因と推察したので、食べ物については少々緩めることにした。なので焼肉も適度に行くことにする。これもストレス解消の一つだ。

 

ストレスを自然に流すことにつながる方法については積極的に行うことにする。塩分コントロールについても緩めることにして食べ物を美味しくいただくことにも重点を置くようにした。

 

仕事復帰30日が経過。いよいよクルマの運転を始めることにした。緊急手術の日以来の運転に少々緊張が走る。徐々に走らせ5分位で慣れた。良かった。ホッとした。

 

大好きなクルマの運転も再び行えるようになった。日常が少しずつ自分の手に帰ってきているようで、本当に感謝しかない。ありがとう。

 

生きてることが素晴らしい

 

 

大動脈解離A型 自宅療養③~仕事復帰①

早いもので退院して自宅療養にはいり30日たった。順調に回復している。そうとう長い距離も歩けるようにもなった。嬉しい限りだ。今日は駅のほうまで歩いていき(約1キロ程度)散髪だ。病後でも散髪すれば少しはスッキリと見えるし気持ち自体も上向くように思える。

 

たしか、かみの毛を切ることは風水的にも、汚れを落とすことにつながり、開運するという事も思い出したw

 

自宅療養33日目。今日は診察日だ。いつものように妻の運転で病院へ。採血とレントゲンと問診だ。順調とのこと。良かった。薬を貰って帰った。

 

自宅療養35日目、いよいよ社会復帰だ。今日から会社へ。緊張の中、早めに到着した。会社がまぶしく見えた。家に帰ったときも思ったが、生きている実感を味わった。

 

皆に順次挨拶した。優しく迎えてくれた。普通に嬉しかった。中にはわざわざ挨拶に来てくれた後輩もいた。感謝しかない。今日はこのような挨拶や会話で一日が終わった。

 

復帰2日目からは打合せや調整または人事考課などの業務が押し寄せてきた。仕事にきた限りは押し寄せるのは諦めるしかない。自分の体と相談しながらペース配分していくしかないだろう。

 

これも社会復帰でリハビリと割り切ろう。まぁ生きているだけで丸儲けなので、無理ならば無理ということにしていこう。

 

仕事に復帰したが、スケジュールとしては週に2日以上は休むことと、残業は絶対にしないことなので、体には非常に優しいものだ。

 

仕事復帰して10日経ち、少々無理をしたのか、胸の傷が痛みだした。もちろん痛み止めの薬は飲む。病院に行くか迷ったが、1日寝ていることにした。寝ていればマシであった。

 

結局3日間は家で横になったりして過ごすことに。自分ではペースを抑えていたつもりだが、やはり少々飛ばしてしまったかと反省だ。もう少し抑えよう。生きていくために。

 

数日後に受診日であったので、担当医に傷に痛みを相談したところ、神経痛とのことでした。そうか神経痛かぁ。少しホッとしたところです。

 

(続く)

 

 

 

大動脈解離A型 手術後の自宅療養②

自宅療養にはいり5日目になった。ようやく痛み止めを4時間おきに飲まなくても良くなってきた。昨晩に飲んだきりで、今は翌日の朝を迎えているが、痛みはなく大丈夫なようだ。ホッとする。

 

それからお出かけすることにも、かなり慣れてきた。モールなどでは歩くことが多いが、これもリハビリの一環だと考えるようにしている。その時、食べる外食はひたすら美味しい。やはり味はしっかりがあるのが良いということだw薄味は不味いww

 

たまに近くの公園でウォーキングもおこなう。本人としては一生懸命に歩いているが、たぶんノロノロと歩いているように見えているだろう。一周500メートルのコースを3周回って。フラフラになった。

 

自宅療養一週間を過ぎたあたりで、YouTubeで面白い映画を見つけた。それは『日本統一』ダイジェスト版で1~4を見た。かなり面白い映画に出会ったようだ。

 

『日本統一』…横浜出身の不良青年である氷室蓮司(本宮泰風)、田村悠人(山口祥行)が日本最大の任侠団体「侠和会」の盃を受け、会の発展と日本極道界統一を目指し奮闘する姿を描く(ウィキペディアより)

 

入院中は鴨チューブで元気をもらい今でも欠かせないでいるが、この映画も同じく生きるパワーをもらえる。完璧に、ひきこまれた。ヤクザ映画は命がけで生きる人間模様を描いているので、その生きてる様が己の琴線に触れたようだ。主役の本宮泰風は初めて見た。良い男だと思う。

 

YouTubeではダイジェスト版しかないので、有料の映像を購入して、妻や子どもが出かけているときをねらって1から順番に見ていった。29までは順次見れた。(ちなみに現在は35まで見れている)

 

それからクルマは妻が運転し、私はもっぱら後部座席でどこへでも連れて行ってもらっている。久しぶり回転ずしも嬉しかった。それとTSUTAYAで『日本統一』を最初からもう一度借りなおして見た。我ながらどんだけ好きやねんと思う(笑)

 

自宅療養11日目には、いきなりステーキで300グラム食べた。久しぶりのがっつりとした肉だった。美味かった。完食した。腹いっぱいになった。生きるには肉が必要と強く感じた(笑)

 

痛み止めが無くなったので、病院に行き必要分貰った。定期的には飲んでいないが、無ければやはり不安だし、少しでも痛いときはすぐに飲むようにしている。精神的にも楽だ。

 

自宅療養17日目、今日は徒歩にて息子くんと二人ですこし離れたドラッグストアへ買い物だ。たまに来ていたところで、ここに来ると息子くんは好きなだけお菓子を買ってもらえる。甘いパパであるが、今日は特に久しぶりなので大判振る舞いだ(笑)

 

自宅療養20日目、今日は定期診察日。血液検査とレントゲンと最後に問診だ。順調に回復しているとのこと。良かった。骨の痛みは仕方がないとして、傷の痛みについては、時間がかかるとのことだ。自分で出来ることといえば毎日シャワーでしっかりと清潔を保つことなので、引き続き地道にそれを行うこととした。傷用の薬は特に無いようだ(残念)

 

自宅療養21日目、朝から妻と息子くんがお出かけなので、一人で思う存分『日本統一』を堪能した。どんだけ好きやねん(笑)

 

このような感じで自宅療養を過ごした。基本食べるものは問題ない。走ることはまだ無理そう。重いものは無理そう。体をひねったりもムリそう。クルマの運転もムリそう。痛み止めは朝に一回もしくは朝夜の二回でなんとかなる。喋ったりは問題ないので、もう少しすれば仕事へも行けるかも。幸い力仕事ではないので助かる。日本統一はOK(笑)

 

(続く)

 

 

 

ヘアカット

小学一年の息子くんと一緒に近くの

ヘアサロンへ。

息子くんは何度か来ていて、いつも同じお兄さんにカットしてもらう。

今日も自分でちゃんと注文していた。

『アシメでツーブロックをお願いします』

いっちょこ前なオーダーを

サラッとおこなっていた(笑)

いまどきの小1は

これくらいのコミュニケーションは

あたりまえのようだ。

頼もしいというか

時代は確実に進んでいるというか。

まあ58歳のオジサンは

時代に遅れないよう

ついていき

楽しめれば

幸いだ💦

せっかく進んだ時代が近づいているのだから

新型コロナで、進歩のジャマはされたくないと思う。

もしくは、天からの導きならば、もう少しゆっくりと進めという警告か

今はどちらともわからないが、まずは感染拡大が止まる事を祈るばかりだ

親子でカットに行っただけだが、いろいろ自粛のいまは、すぐに大きなことを考えるようになってしまっている。

『深くしっかりと自分の頭で考えろ』

という教えかとも思う今日この頃

日本などは長く平和が続き、お金を儲けることに一生懸命になってきたが、一度立ち止まって生きることや他を敬うことなどに思いを巡らせることが必要だと言われているとも言える。

プラス思考やポジティブシンキングという言葉はこのような時こそ有効に使うべきだ

みんなそれぞれで考えよう

大動脈解離A型 手術後の自宅療養①

17日間の緊急入院から手術そして入院生活を終えて久しぶりの自宅だ。玄関や部屋の一つひとつの景色が新鮮で、生きて帰ったんだという感慨深い不思議な気持ちであった。

 

今では胸に30㎝強の傷と右足の付け根にも10㎝程度の傷。しかもケロイド状になっていてヒリヒリ痛いのと、胸骨の状態が見えないので不安な気持ちだ。

 

4時間おきに痛み止めを飲んでいるが、飲むのをやめると胸骨が痛みそうで怖い。体の中の事なので骨がどうなっているのかも分からない。

 

病院でもらった胸骨を締めて固定させるベルトはまだまだ離すわけにはいかないし外したくもないので、しっかりと装着することは忘れないでいる。

 

ひとつ不思議なことは、手術するまでの2年間は左肩の五十肩に悩まされてきたが、今に至っては痛みはほとんど無くなった。心臓血管と何か因果関係があるようだ。

 

骨や内臓や血管は見えないだけに計り知れない代物だ。それだけに胸骨の治りが遅くなるのは極力避けるように生活している。

 

たとえば重いものは持たない、走らない(厳密には走れないだが(-_-;))など、骨に負担になるような動きは避けている。もし引っ付かないうちに骨が固まるということは避けたいのだ。

 

事故でハンドルやエアバッグなどで胸を圧迫するのも怖いという妻の考えもあり、クルマは妻の運転で、私は後部座席である。

 

血圧は入院中からずっと丁度よい数値で安定しているが、念のために薬の服用は続けているのと、一応塩分は控えることにした。高血圧も一応は血管障害の原因と言われているため。

 

それからネットで減塩の調味料や食べ物などを片っ端から購入した。ただし減塩のものは一様にまずい(^▽^;)やはり味の基本は塩だということを再確認した。

 

こうして術後の生活をはじめた。それで少しずつ出来ることを増やすようにしていった。3日間はほとんと寝て過ごし、4日目には外出に挑戦し外食もできた。美味すぎだ(^^)v

 

1週間後には近くの公園でウォーキングをし、少しずつ社会復帰できるようにしていった。急転直下の手術であったが、落ち込んでいる場合ではない。家族と自分のために頑張らねば。

 

せっかく生き延びた命である。焦りはしないが少しでも早く、以前のような暮らしに戻せるように頑張っていこうとしていた期間であった。

(続く)

大動脈解離A型 17日目で退院

2020年3月、コロナウイルスが猛威をふるい、生活に遠慮なく侵入している。学校も休みになり、子どもたちも行き場をなくしている。

 

この未知のウイルスとたたかう中、大動脈解離を発症する人も多いかと思う。寒い季節は血管が収縮し突然の発症も増える。

 

大動脈解離は、いわゆる心臓につながる太い血管の内部がさけ、血液が血管の外に漏れると死亡する確率が高くなるという病気だ。

 

おととしの11月に突然発症したが緊急手術により一命をとりとめた。今後、家族や本人がこの病気になった際、何かのお役にたてればと思い、メモを頼りに記憶をよび起こした。

 

実際に妻は少しでも情報がほしくて検索したようだが、具体的なことはなかなかみつからなかったとのこと。それならば当事者の行動と考えを共有してみようと思った。

 

 

緊急手術から17日目(退院)

 

いよいよ退院日だ。午後に予定されているので、朝はいつもの入院ライフである。長いようで短い期間。この生活にも慣れてきている。だか家に帰れるのは嬉しいとしか言いよう無い。

 

入院日ラストに偶然院長回診だ。前回もそうだったが、皆バタバタしているなか9時ごろ回ってきた。一言二言交わした。院長も退院を心から喜んでくれた。命の恩人だ。感謝しかない。

 

昼ごはんを食べて少しして、妻と子どもと義母が来てくれた。部屋を片付けてから、栄養指導の話しを聞いてから、部屋を後にした。ナースステーションに挨拶した。

 

1階に降りて、妻が支払いをしてくれている間にICUに挨拶にいくと、なんと中から忙しいにも関わらず、7人も入口まで出てきてくれた。

 

先生も看護師さんも皆満面の笑顔で送ってくれた。この人たちも命の恩人である。生きるパワーを術後にもらえたから今がある。このことを心に刻んだ。感謝。

 

妻の運転で久々の外の空気を吸いながら帰った。17日前、クルマで病院に行ったとき以来の自宅である。生きている。というか生きのびたというほうがおさまりが良い。

 

目の奥のほうがじわーと熱くなる。嬉しいという単純なものではないなんとも言えない感情に包まれながら家に入った。

 

家が新鮮であった。もっと健康でいようと思った。家族を大事にしようと思った。関わる全ての人に感謝していこうと思った。もっと生きようと思った。死んでたまるかと思った。

 

 

 

 

 

大動脈解離A型で手術 14~16日目

2020年3月、コロナウイルスが猛威をふるい、生活に遠慮なく侵入している。学校も休みになり、子どもたちも行き場をなくしている。

 

この未知のウイルスとたたかう中、大動脈解離を発症する人も多いかと思う。寒い季節は血管が収縮し突然の発症も増える。

 

大動脈解離は、いわゆる心臓につながる太い血管の内部がさけ、血液が血管の外に漏れると死亡する確率が高くなるという病気だ。

 

おととしの11月に突然発症したが緊急手術により一命をとりとめた。今後、家族や本人がこの病気になった際、何かのお役にたてればと思い、メモを頼りに記憶をよび起こした。

 

実際に妻は少しでも情報がほしくて検索したようだが、具体的なことはなかなかみつからなかったとのこと。それならば当事者の行動と考えを共有してみようと思った。

 

 

 

緊急手術から14日目

 

今日で緊急手術から、そして入院して2週間だ。いつもの朝と同じ行動。同じことを繰り返す喜びは、この入院を経験して生まれた感情だ。

 

これまでは同じことが繰り返されることは、苦痛でしかなく、常に変化を求めて、生きてきたように思う。考えも変わるものだ。

 

今朝のリハビリは自転車20分、ウォーキング15分だ。問題なく終了した。自分でも回復力に驚くが、逆に飛ばし過ぎていないかと心配になる。先生は大丈夫という言葉だが…

 

昼ごはんが終わって少し横になっていると、妻が来てくれた。担当の先生も来て、そろそろ退院という話しだ。早いのではと驚いたが、結局3日後の退院で調整した。

 

あまりにも早い展開に嬉しさと心配が交差する。それでも順調に回復しているという喜びには違いない。

 

夜ごはんを食べて、シャワーを浴びて今日は早めに睡魔がやってきたので、この2週間のことをおもいだしながら眠ることにする。

 

緊急手術から15日目

 

朝の検温、体重測定、ごはんと通常の流れをこなして、リハビリへ。となりでリハビリをしている同世代の女性と話した。

 

パラグアイ在住の日本人で、実家に帰国した際に大動脈解離で手術になったとのこと。なんということだ。

 

女性いわく、パラグアイで発症していれば医療のレベルが低いので助かっていたかどうかと思うとのこと。なんと強運な人だと思った。

 

私も痛みがなく救急車で運ばれた強運の持ち主だと自負しているが、パラグアイからたまたま帰国したときに発症したのは同等もしくはそれ以上だ。

 

昼ごはんを食べてゆっくりとしていると妻が来てくれた。子どもと義母と一緒に。近くに美味しいラーメン屋があるようで、3人で出かけた。

 

少しして戻ってきて、妻は明日の担当医との面談の時間調整を看護師さんとしてくれた。3人は夕方に帰った。

 

このあと寝るまでいつもの通りであった。

 

緊急手術から16日目

 

いつもの朝と同じ6時半の起床で体重を測り少しして朝ごはん。10時からラストのリハビリだ。自転車とウォーキング。問題なくこなせた良かった。

 

たしかに自転車とウォーキングそして時々行なう階段などを経験することによって、実際使う筋肉のリハビリにもなるが、メンタル面の自信ということからもリハビリということか。

 

リハビリ終わって部屋に戻ると、後輩が部屋で待っていた。驚いた。嬉しかった。有難く思う。この後輩は面白い男で、今日もたくさんの笑いを提供してくれた。

 

その後、同期生が来てくれた。有難いと思う。少し話して帰った。その後、妻が来てくれた。担当医との面談は病室にて行った。明日予定通りに退院との話しであった。

 

退院前にエコーと心電図の検査があり、そのタイミングで妻は帰った。入れ替わりに同期生が夫婦で来てくれた。家族ぐるみで付き合っている同期生だ。感謝しかない。

 

そのあと、後輩が来てくれた。有難い。今日はたくさんの人がお見舞いに来てくれた。皆一様に明日の退院のついては驚いていた。自分でもびっくりするくらいの回復だ。

 

夕方過ぎにみんな帰った。その後はごはんを食べてシャワーを浴びて、ゆっくりと過ごした。いよいよ明日は退院だ。家に帰れる生きているという実感を胸に抱き寝ることに。

 

 

 

 

 

 

 

 

大動脈解離A型で手術 11~13日目

2020年3月、世界そして日本でコロナウイルスが猛威をふるい、生活に遠慮なく侵入し学校も休みになり、子どもたちも行き場をなくしている。

 

この未知のウイルスとたたかう中、大動脈解離を発症する人も多いだろう。寒い季節は血管が収縮し突然の発症も増えるようだ。

 

大動脈解離は、いわゆる心臓につながる太い血管の内部がさけて、その血液が血管の外にもれると死亡する確率が高くなる。

 

おととしの11月に突然発症したが緊急手術により一命をとりとめた。今後、家族や自分がこの病気になった際、何かの情報収集にお役にたてばと願い記憶をよび起こした。

 

実際に妻は少しでも情報がほしくて検索したようだが、詳細な情報などはネットにもあがっていなかったとのこと。それならば当事者が発信するのが良いと思った。

現在は順調に治癒している。日常生活についてもほぼ普通に生活している。ブログのサブタイトルにある50代からの挑戦という前向きな生き方を実践中(^^)v

 

 

緊急手術から11日目

 

今日は採血が遅く、先に起きていた。7時前に看護師さんが来たが、緊張なのか針が入らない。珍しいことだ。結局何回かやってもムリだったので違う人と交代。気をつかうなぁw

 

10時まえにレントゲン。その後に抜糸。担当の先生が病室まで来てくれて少しチェックしたあと抜糸と、お腹にささっていた管を2本外した。けっこう痛く血も出た。

 

いちおう平気な顔で耐えて、痛さもそれほどでもないですよって言っておいた。っていうかここまできて、痛いとか泣き言は言いたくない。これも回復のひとつで喜びだ。

 

この管が最後のものであったので、これが外れればシャワーもOKという話しもあったが、実際は胸に30㎝と右足の付け根に10㎝の傷があり、しかもまだ痛いのでシャワーは微妙だ。

 

その後、リハビリだ。今日は階段の登り降りで、さすがに登りはきつかった。自転車は10分で短いが、少々バテた。

 

昼前に母が来てくれた。電車とバスで2時間くらいかかるので大変だ。有難くおもう。2時間くらい喋った。

 

午後ゆっくとYouTubeを見ていると、男性の看護師さんが来て、シャワーの仕方を教えますとのこと。断ろうと思ったが、清潔にするのも傷の回復に大事だということだった。

 

なので教えてもらうことに。傷跡にシャワーをあて、石鹸で洗ったりと、かなりビビりながらのシャワーであった。しかしこれをさぼると傷に雑菌がつくとダメだとのこと。

 

胸骨を切っているので、その接合を補助するためのベルトを術後からずっと装着しているが、洗い替えを売店で注文していたので、それを取りにいき替えた。

 

シャワーも行ない、ベルトも取り換えて、なおいっそうスッキリした。シャワーという普通の生活では当たり前のことも、この術後の自分には超がつくほどの回復のように感じる。

 

 

緊急手術から12日目

 

いつもの6時半の検温で起きた。朝ごはんも完食し、10時からリハビリだ。ウォーキング10分、自転車20分でソコソコ疲れた。明日リハビリは休みだ。なんかホッとする。

 

昼ごはんが終わったくらいで、兄夫婦が来てくれ、その後、妻と子どもと義母が来てくれた。みんなありがとう。元気な顔を見せれて良かった。

 

2時間ほど皆でワイワイ喋った。個室の良いところだ。その後、みんなが順次帰った。夜ごはんの後にシャワーだ。まだ慣れないが清潔にするという使命のもと頑張った。

 

寝るまではYouTubeをみてゆっくり過ごした。

 

 

緊急手術から13日目

 

朝の検温や血圧、脈拍を測るのも無かった。忘れかと思うが、これも順調な証拠かと前向きに思おう。体重は少し減ったが問題ないと思う。

 

今日は特に誰も来ず、リハビリも無いので、一日YouTubeをみて過ごした。順調だと感じた日となった。

大動脈解離 9日目と10日目

2020年3月、世界そして日本でコロナウイルスが猛威をふるい、生活にえんりょなく侵入しおびやかされている。学校も休みになり、子どもたちもいき場を失うしまつである。

この未知のウイルスとたたかうなかで、この大動脈解離とたたかう人も多いだろう。寒いじきは血管の収縮がはげしいのでとつぜんの発症もおおいという。

今日で9日目をつづるわけだが、この大動脈解離という病気は、いわゆる心臓につながるふとい血管の内部がさけて、その血液が血管の外にもれると死にいたるというもの。

おととしの11月にとつじょ発症し緊急手術により一命をとりとめた。このさきこの病気の情報で何かお役にたてばと願い記憶をよび起こしてつづったものである。

じっさいに私が発症したときに、妻はすこしでも情報がほしくて検索したようだがあまり見つからなかったと聞いた。それなら当事者が書けばよいのではと考えたところだ。

現在は順調に治癒しているさいちゅうで、日常生活についてもほぼ普通に生活している。ブログのサブタイトルにある50代からの挑戦という言葉をじっせん中(^^)v

 

9日目

 

けさは6時半の採血でおきた。検温し血圧もはかる。異常なしだ。体重も問題ない。朝ごはんも完食し歯みがきとヒゲそりもばっちりだ。かみの毛もととのえた。

 

10時すぎからリハビリで、きょうは病室のある4階からリハビリルームのある1階まで、階段をつかっておりた。下りだがひさしぶりの階段だった。

 

ストレッチ後に昨日ぐらいの負荷で自転車を20分。運動することが気持ちよく感じた。すばらしいことだ。そのあとマッサージで終了しひきつづきレントゲンをとった。

 

部屋にもどり今日も鴨チューブ。ほんとに元気をもらえるよい映像だ。昼ごはんを完食し歯みがきを終えたあたりで妻がきてくれた。きょうは子どもは幼稚園で来ていない。

 

すこしして会社の直部下が来て30分ほどしゃべって帰った。妻もお迎えもあるのでそのあと帰った。看護師さんがきて、かみの毛を洗ってくれてスッキリ。

 

そのあと1階の売店へいきふりかけを買った。夜ごはんからはこのふりかけで少しでもおいしい食事を楽しもう。病院食は味がうすいので、どうもなじめない草

 

15時すぎ心電図とエコーをとった。この心電図はトラウマになっている。それは9日まえの緊急手術はスタートが心電図の異常からはじまったので。

 

きょうは問題なかった。ホッとする。あの日もふつうに暮らしていて微熱がきになり受診してこのようなことになったから、なにが起こるかわからない。まあこれがトラウマかw

 

ゆうがた、子どもから電話がかかってきた。幼稚園の体操きょうしつでとび箱5だん飛べたよっていう報告だ。うれしそうな声。こちらもうれしくなる。子どもは生きる希望になる。

 

あとの時間は夜ごはんと鴨チューブですごした。夜ごはんではふりかけをつかう。美味いw。想像いじょうだw。

 

 

10日目

 

今朝も検温と血圧でおきた。体重もはかる。問題なし。看護師さんいわく、さくばんナースステーションで脈拍をみていたら急に高くなることがあったとのこと。

 

機械がつながっているので常に状態を見てくれている。昨晩は鴨チューブできもちが高ぶることもあったので、たぶんそれが原因だろうと思ったので、とぼけておいた草

 

きょうは月一回の院長回診の日だそうで、看護師さんたちもみんなばたばたしている。9時ごろくるのでベッドで寝ていてくださいとの指示。おおぜいがちょうど9時にあらわれた。

 

みたこともない先生や看護師さんもたくさんいた。病棟全体がピリピリとしたひと時であったので新鮮であった。

 

院長回診の日であったのでリハビリは11時から。きょうもストレッチのあと自転車を20分。負荷はすこし上げて4だ。負荷を上げてももんだいなく気持ち良かったくらいだ。

 

終了後、部屋にもどり寝ていると妻がきてくれた。昼ごはんをたべながら高額医療費のはなしを妻からきいた。どうやら直部下とやりとりして進めてくれているようだ。

 

この手続きをしとかなければ、退院のさいにかなりの高い請求がきて、のちに返してくれるとしても、その時はそうとう大きな現金が必要になるとのこと。

 

このあたりのくわしい手続きなどは、このまえ手術中に来てくれた、実兄夫婦に教わったようだ。みんながたすけてくれるので感謝しかない。

 

子どものお迎えがあるので14時まえに妻はかえった。夜の検診では血圧のしたが少し高かったが問題ないとのこと。安心した。

 

会社の元上司がお見舞いに来てくれた。普通に元気だった私が急に入院して手術ときいてかなりおどろいたとのはなし。わざわざ来ていただきありがたく思う。

 

その後は、夜ごはんとまたまた鴨チューブで過ごした。鴨チューブはたくさんのコンテンツにあふれていて何日見ていても違うものが見れるのは素晴らしい。

 

ほんとうに元気をもらえる映像だ。感謝。

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