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大動脈解離 8日目

これは私が一昨年の11月に突如発症した病気について一日ごとに書き綴り、もしこの先、同じ病気に本人もしくは家族や知り合いがなった際の情報になればと願ったものである。

 

実際に私が発症した際に、妻は少しでも情報が欲しくて検索したようだがあまり見つからなかったと聞いた。それなら当事者である私が書けばよいと考えたところだ。

 

現在は順調に治癒している最中で、日常生活についてもほぼ普通に生活している。ブログのサブタイトルにある老活(50代からの挑戦)するぞという活力も出る始末だw

 

8日目

 

今朝は6時半の看護師さんの検温の前に起きていた。1週間経って病院生活に慣れてきている。検温が終われば体重計。ほぼ変わらず68.1キロ。うん順調だ。。

 

その後、血圧と脈拍を測定。血圧が上が105、下が78、脈拍が107であった。血圧は異常なし。脈拍が相変わらず多いが…。

 

朝ごはんを完食し歯磨きしてから、シェーバーで髭剃りだ。髪もとかす。ここまでは病院内でのルーティンワークとなっている。この病院は清潔第一なのだw

 

少ししてリハビリルームへ行き、いつものようにストレッチをして自転車20分、マッサージで終了。自転車の負荷も順調に増やしていっているが大丈夫(^^)v

 

終了し部屋に戻り少し横になった。昨日から時間があるときはスマホで鴨チューブをみている。間違いなく元気を貰えている。鴨さんありがとうm(__)m

 

そのまま鴨チューブを見ながら昼になり、昼ごはんを完食し歯磨きした。看護師さんが来て、部屋を移動するとのこと。

 

今の個室はナースステーションの前で、基本的にICUから来た人が使用する部屋である。なので順調に回復している私は、もうナースの近くで無くても良いという判断とのこと。

 

一つでも進歩というか前に進むことは、とてもありがたいと思うし、素直に嬉しいこと。荷物を片付けて廊下の突き当りの部屋へ移動。

 

日当たりも良く外も見えて良い部屋だ。少しして妻と子どもが来てくれた。またまた売店にてアイスを買い3人で食べた。ひと時の家族団らんを味わっている。

 

妻がまたまた小さい恐竜を折り紙で作ってきてくれ机に飾った。私が順調に回復しているので、少々ホッとするのか妻の疲れがピークに来ているように見えた。

 

多分これまで気持ちがかなり張りつめていたんだろうと思う。それが私の様子を見て張りつめていた気持ちが緩み、ドッと疲れが押し寄せてきたのだろう。

 

ゆっくりと休んでほしいが、幼稚園の子どもがいるので、そうもいかない。私が人の心配を言っているのはおこがましいが、とても心配である。

 

なので、今日は出来るだけ早めに帰宅してもらうことぐらいしか、私が今できることは無い。妻の体調を心配しながら見送った。

 

ありがとう。

そして、ごめんね。

 

その後は鴨チューブを見て過ごし、夜ごはん、歯磨きをして、薬も忘れずに飲み、眠たくなるまで延々と鴨頭嘉人さんの映像を楽しんだww

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大動脈解離 7日目

これは私が一昨年の11月に突如発症した病気について一日ごとに書き綴り、もしこの先、同じ病気に本人もしくは家族や知り合いがなった際の情報になればと願ったものである。

 

実際に私が発症した際に、妻は少しでも情報が欲しくて検索したようだがあまり見つからなかったと聞いた。それなら当事者である私が書けばよいと考えたところだ。

 

現在は順調に治癒している最中で、日常生活についてもほぼ普通に生活している。ブログのサブタイトルにある老活(50代からの挑戦)するぞという活力も出る始末だw

 

7日目

 

あの日から1週間経った。微熱の薬を貰うか、打合せを優先し仕事に行くかで結果病院を選択し、その後の手術から今までの出来事が目を瞑れば走馬灯のように蘇る。

 

これまでの人生もかなり波乱万丈な人生であるが、この1週間の濃さといえばこれまでの出来事とくらべても最大クラスだろうw

 

今朝もいつものように6時半の検温で起床。その後、体重測定。結果は問題無し。朝食もいつも通り完食、歯磨きも忘れずに。痛み止めや血圧の薬もOK。

 

ただ昨晩の深夜遅い時間に、廊下で看護師さんとお爺ちゃんが言い争い?が結構長く続いていてうるさくて寝れなかったので少々眠たいが…w

 

9時過ぎに採決があり、その後レントゲンもあった。いったん部屋に戻り、10時半にリハビリルームへ。ストレッチを一人で行ない、自転車を20分。

 

7日前に手術で胸を30センチ近く切り、胸骨も相当切り、痛み止めを4時間おきに飲んでいるものが、自転車を20分もこぐ運動を行えることを誰が想像できるであろう。

 

想像だけならば、まだまだベッドに寝た切りで体中に管があり、いかにも病人だというような姿だと思うが、現実は自転車だ。回復力に感謝。

 

自転車が終われば、ベッドでマッサージ。暖かいタオルをあてながら揉んでくれるので、本当に気持ちが良い。寝てしまいそうになる。

 

マッサージが終わり今日のリハビリは終了。ICUで一番元気で明るい看護師さんが、別の患者さんの付添でリハビリルームに来ていた。例の明るい大きな笑い声。元気をもらった。

 

病室に戻り寝ころびながらスマホを見る。YouTubeで鴨頭嘉人さんの講演を観た。面白い。すっかりハマった。元気をもらえる。言葉の一つひとつが栄養になっていく感じがする。

 

昼ごはんの際も鴨頭さんのYouTubeを見ながら完食し、見ながら歯磨きだ。アップされているものを次々に見ていく。面白い。ちなみに昼食はビーフシチュー。初めて美味かった(笑)

 

毎朝、血圧を看護師さんが測ってくれるので、今日から血圧手帳に書き込むことにしている。血圧も高くはないが、一応自分の数値がどう推移するのかを把握するため。

 

14時ごろ妻が来てくれた。売店でアイスを買い一緒に食べた。少しして看護師さんが来て、洗髪してくれてスッキリした。

 

来年の1月の終わりには車検なので、その事も含めて、TOYOTAの担当のお兄さんが見舞いに来てくれた。彼とは前の車からお世話になり、もう既に7年近くになる。

 

前に話していたときに、このタイミングでクルマを乗り換えるかもという話しもあったが、今の状況なので車検を受けてもう少し今のクルマを乗ることにした。

 

お兄さんと入れ替わりに妻の姉が姪と一緒にお見舞いに来てくれた。二人とも明るいので楽しい時間であった。一時間ほど居て帰った。その後、妻も帰った。今日もありがとう。

 

晩御飯を完食し歯磨き。痛みは続いているので、痛み止めは忘れずにのむことにする。ご飯も終わって痛み止めも飲んだのでスマホだ。

 

眠たくなるまで、鴨Tubeを見ることに。朝から見ているが、全く飽きることはない。元気や勇気や生きるパワーを貰えている。これも出会いだ。素晴らしい出会いに感謝。

 

鴨頭さん、ありがとうございます。感謝。

 

 

 

 

大動脈解離 6日目

これは私が一昨年の11月に突如発症した病気について一日ごとに書き綴り、もしこの先、同じ病気に本人もしくは家族や知り合いがなった際の情報になればと願ったものである。

 

実際に私が発症した際に、妻は少しでも情報が欲しくて検索したようだがあまり見つからなかったと聞いた。それなら当事者である私が書けばよいと考えたところだ。

 

現在は順調に治癒している最中で、日常生活についてもほぼ普通に生活している。ブログのサブタイトルにある老活(50代からの挑戦)するぞという活力も出る始末だw

 

6日目

 

今日も朝の検温で始まった。6時半だ。さすがにこの生活も少し慣れてきた。ナースステーション前の体重計で測る。68キロだ、手術前より4キロ減だ。

 

まあ、入院中の食事は軽いものばかりなので、体重は減るのは当たり前か。ただしこれは栄養士がしっかりと考えたメニューなので、信じてただ完食を目指そう。

 

予定通り朝ごはんを完食し、歯磨きを行う。まだまだ痛みが取れないので、痛み止めを多めに貰うこととする。

 

たしかICUの看護師さんが言っていた。痛みを我慢する必要は全くないので、痛いときは痛み止めをのんで体を楽にするほうが良いと言っていた。

 

胸骨という胸の真ん中にある大きな骨を真っ二つに切ったわけなので痛いのは当然だ。それがカラダの中にあるので、状態も分からない。なのでそれが痛めば薬に頼るしかない。

 

今日も看護師さんにより血圧と脈拍が測られた。血圧は全く問題ないが、脈拍が多いのが気になる。これは胸のシールで押さえている。手術後はこんなもんとのことだ。

 

会社の他部署の後輩から年末の懇親会の誘いのメールが来た。入院について知らない人は多い。急であったから。なのでメールで現状を伝えた。かなり驚いていた。当然だ。

 

昼食も頑張って完食し歯磨きも終えた。妻と子どもと義母が来てくれた。またまた小さな折り紙の作品を持ってきてくれた。飾ってくれた。

 

この折り紙作品は、看護師さんたちに人気だ。今回はクワガタやカブトムシなどの虫シリーズだ。完成したものがすごい小さいので見た人はみな一様に関心する。

 

電気シェーバーも買ってきてくれたので、さっそくヒゲを剃ることに。無精ヒゲも自分としては問題ないが、せっかくICUで清潔さを習慣にしてくれたので綺麗にしようとおもう。

 

看護師さんに聞いたところ、アイスクリームも問題ないとの返事をもらい、近くのスーパーへ妻が買いに行ってくれた。久しぶりのアイスは美味しかった。生きている実感だ。

 

子どもは明日、幼稚園があるので6時前に皆帰った。ほんとにこうして毎日顔を見せてくれて、感謝しかない。ありがとう。

 

夜ごはんも完食だ。痛み止めの薬を30回分貰った。今後は自己管理だ。4時間開ければOKで痛ければ看護師さんを呼ばないで飲むことにする。

 

夜はゆっくりとテレビを観たり、スマホをいじったりして過ごす。今日も順調に治っていっていると信じて寝ることにしよう。

 

 

大動脈解離 5日目

これは私が一昨年の11月に突如発症した病気について一日ごとに書き綴り、もしこの先、同じ病気に本人もしくは家族や知り合いがなった際の情報になればと願ったものである。

 

実際に私が発症した際に、妻は少しでも情報が欲しくて検索したようだがあまり見つからなかったと聞いた。それなら当事者である私が書けばよいと考えたところだ。

 

現在は順調に治癒している最中で、日常生活についてもほぼ普通に生活している。ブログのサブタイトルにある老活(50代からの挑戦)するぞという活力も出る始末だw

 

5日目

 

一般病棟での初めての朝。ここでも朝の検温から始まる。6時半位に来てくれる。平熱で順調だ。先ずはホッとする。

 

この流れで起きて、体重を測りに行き、ナースステーションの看護師さんに報告する。体重は手術から入院生活の影響で以前より減った状態が続いているが問題ない。

 

少しして朝食が運ばれる。一人になっても完食を目指す。味はあまりだが一口一口運び、生きていることに感謝しながら最後まで食べるようにしている。

 

食後の歯磨きも忘れずに。この部屋は洗面台もあるので、鏡前に椅子をもっていき、しっかりと隅々まで磨く。

 

ICUで習った清潔を一人部屋になっても実践だ。その流れでヒゲも剃ってスッキリだ。50代の男が無精ひげを生やしていると余計に弱り感が増す。毎日剃ろうと鏡を見て思った。

 

少しして看護師さんが来て、レントゲンと採血があるとの連絡。車椅子で一階のその場所へ。一階は外来もあるので雰囲気が違う。入院以来の世間だw 不思議な感覚だった。

 

いったん病室に帰って少し横になっていると、白衣の男性が来た。話しによるとリハビリの先生とのこと。一階にリハビリルームがあり今からソコに行くとのこと。

 

えっ、もうリハビリ、早くない。って心で叫びながら、口では笑顔を浮かべて『ハイ』外面の良さを発揮だw

 

今日だけ車椅子でリハビリルームへ。脈拍や血圧を測り、ストレッチと軽いマッサージだ。周りでは私より年配の人がたくさん自転車やウォーターやストレッチを行っていた。

 

明日からは少しづつ、いろいろと運動を行っていくとのことだ。脈拍が速いのが気になる程度だが薬も飲んでいることと、病院内のリハビリルームなので安心感が大きい。

 

終了後に部屋に戻り、少し横になった。やはりストレッチくらいの動きであったが疲労感は大きい。やはり大きい手術の影響だろうが頑張らねばw

 

昼になり昼食を完食し歯磨きを行っていたところ、妻と子どもが来てくれた。病室に彩りをという意味からか、妻の作った恐竜の折り紙を沢山もってきてくれて飾ってくれた。

 

そのあと、なんとICUの看護師さん(男性でいつもニコニコして親切だった人)と子どもと初めて会うときにクシを貸してくれた先生がわざわざ来てくれた。満面の笑顔で。

 

なんという優しさだろう。二人の笑顔にどれほど術後の不安定な気持ちが救われたか。感謝しかないうえに、こうして来てくれる。天使のように感じる。ありがとう。

 

少し喋って二人は帰った。その後、ゆっくりと家族の時間を過ごした。晩御飯の途中まで妻と子どもは居てくれて帰った。しーんとなったので、テレビの音量を上げた。

 

発症して手術を受けて5日目となる。急展開の日々であったが、今日はゆったりとした時間が多かった。焦らず毎日をまず生きることが私に課せられた使命だ。

 

『生きているだけで丸儲け』明石家さんまが昔よく使っていたフレーズだが、まさしく今の私にはピッタリだ。生きていることを心から感謝しながら今宵も過ごそう。

 

 

生きていることを心から感謝

 

大動脈解離 4日目

これは私が一昨年の11月に突如発症した病気について一日ごとに書き綴り、もしこの先、同じ病気に本人もしくは家族や知り合いがなった際の情報になればと願ったものである。

 

実際に私が発症した際に、妻は少しでも情報が欲しくて検索したようだがあまり見つからなかったと聞いた。それなら当事者である私が書けばよいと考えたところだ。

 

現在は順調に治癒している最中で、日常生活についてもほぼ普通に生活している。ブログのサブタイトルにある老活するぞという活力も出る始末だw

 

4日目

 

ここICUでは6時ごろには看護師さんが検温に来る。それが起きる合図で今日も始まる。といっても、することは食べて寝る事が主だ。

 

今朝の担当看護師さんはICUで一番明るい女性だ。明るく大きな声で『おはようございます』と最大の笑顔で声掛けしてくれるので、気分が晴れる。

 

朝食も頑張って完食し、歯磨きも少々慣れてきた。先生が回診に来て、順調に回復しているのでということで、お腹にあった管と尿の管が取れた。尿の管を抜くときは少々ビビったw

 

少し痛かったが、これが生きていることかと大きなことを考えれば、何のことはない。耐えれるものだと思った。

 

これらが取れると一般病棟に行くことが出来る。ひとまず順調に目標達成である。個室が空きそうとのことだったので、少し贅沢させてもらい個室をお願いした。

 

10時過ぎに連絡があり、一般病棟の個室が空いたとのこと。準備して車椅子に。ICUのスタッフて全員、最高の笑顔で送り出してくれた。『ありがとうございます』

 

この人たちのおかげでここまで早く回復できたといっても言い過ぎではないように思う。それくらい最高に明るく親切で清潔好きな人たちだった。感謝しかない。

 

ICUの人たちにお礼を言って、4階の一般病棟へ。トイレや洗面も付いている。テレビもおいてある。一通り説明を受け少し横になった。

 

天井を見つめて思った『今までと違い静かだ』ICUでは常に顔が見えるところに看護師さんがいたし、ずっとなにやら働いていたのを見てきたので少々寂しく感じた。

 

少しして妻と子どもが来てくれた。一般病棟に二人とも大いに喜んでくれた。さっそく冗談の連発で笑かしてくれる。面白いが痛いw

 

妻からスマホを受け取った。これでようやくいろいろ連絡することができる。会社には4日前から急に行けなくなり、妻から連絡はしているものの連絡できない状況であった。

 

昼食を食べ(完食)、歯磨きをした。少しして母が来た。実家は電車と歩きで二時間くらいかかるので申し訳なかった。夕方まで居てくれて帰った。ありがとう。

 

そのあと妻と子どもも帰った。スマホが戻ってきたので、さっそく会社の社長、上司、同僚、部下に経緯等と迷惑を詫びる文章を送った。皆から暖かい言葉が戻ってきて嬉しかった。

 

夕食も全て食べた。ちなみにオペの翌日の朝からはすでにお粥ではなく普通ご飯で、今回からは量も普通サイズとなっているが、復調に繋がると信じ頑張って食べることにした。

 

一般病棟に移り、ご飯も普通の量になり、自分でも回復の速さに驚いている。これも日ごろから筋トレしたり、サプリやプロテインも欠かさなかったことから基礎体力があったおかげか。

 

それと一年半前に長年吸っていたタバコもきっぱりとやめたことも良かったのかも。発症した際に痛さで苦しまなかったのは珍しいそうだが、それも基礎体力のおかげであったかもだ。

 

歯磨きも終えたので、今日は眠たくなるまでゆっくりとスマホをいじったり、テレビでも見て過ごそうかと思う。

 

ゆっくりとテレビを観ることや、スマホをいじることは久しぶりだ。生きていることを一人かみしめながら、今宵も更けていく。。

 

 

 

 

 

大動脈解離 発症3日目

これは私が一昨年の11月に突如発症した病気について一日ごとに書き綴り、もしこの先、同じ病気に本人もしくは家族や知り合いがなった際の情報になればと願ったものである。

 

実際に私が発症した際に、妻は少しでも情報が欲しくて検索したようだがあまり見つからなかったと聞いた。それなら当事者である私が書けばよいと考えたところだ。

 

現在は順調に治癒している最中で、日常生活についてもほぼ普通に生活している。ブログのサブタイトルにある老活するぞという活力も出る始末だw

 

3日目

 

3日目が始まった。朝食は当然完食した。妻が昨日、歯磨きセットを持ってきてくれたので、歯を磨くことに。やはりブクブクすることと、吐き出すのは痛みを伴う。

 

その後、男性看護師さんが来て、カラダ全体を拭いてくれた。真面目そうな若い男性で、メガネの奥からニヤリと笑いながら『女性じゃなくてスミマセン』思わず笑った。でも痛いw

 

全身拭いてくれてさっぱりした。この病院は昨日の食後のうがいもそうだが、とても清潔に気を配るところだと感心していた。

 

別の看護師さんからヒゲ剃りも勧められ、ヒゲも剃った。さっぱりした。ICUの看護師さんは皆親切だ。手術してまだ数日しか経たないのに身だしなみまで気にかけてくれるのは助かる。

 

午後になり、子どもが来てくれたようで、いつものようにICU入口に居ることを知った、ICUの担当先生と看護師さんは私を車椅子に乗せて息子に会いに行かせてくれた。

 

久しぶりに会うのだからと言って、車椅子で移動している途中でクシを貸してくれて、鏡の前で止めてくれて、整える時間もくれた。『カッコいいパパでね』粋なセリフだ。

 

子どもに少しでも綺麗な姿をとの気遣いだ。涙があふれそうになった。扉を開けると子どもの姿が。嬉しかった。生きていることに感謝だ。頑張って元気を取り戻そうと強く思った。

 

子どもと一緒に妻と義母もいた。義母にも心配かけた。ありがとう。会う人が皆、新鮮に映る。心の中では生きていて良かったと叫んでいた。

 

妻の話しでは、手術後すぐにICUに入ったときは全身真っ白で生きている感じもしなかったようだったとのこと。心臓を止めていたので顔色もなかったからだろう。辛かったとのこと。

 

手術中とはいえ、一度は心臓を止めていたということは、死んでいたのと変わらない。その時に人口心肺の機械で生きていた。改めて全てを受け止めてくれた妻に感謝だ。

 

手術中に三途の川を見ることはなかったが、一度は川の中に入ったのかもと思う。人間死んだ気になれば何でもできるというが、それを体験したような気だ。生きているだけで丸儲けだ。

 

今日も妻の顔や声を聞いて、しっかりと痛みをこらえながら笑ったw。輸血した際に笑いじょうごの人の血をもらったのか自分でも押さえられたいくらい可笑しい。どうしたものか。

 

少しして皆が帰った。その後、看護師さんが来て、洗髪もしてくれた。車椅子で連れられて風呂場へ。本当に清潔には気を使ってくれる。

 

今日はヒゲも剃り、頭も洗いスッキリだ。それに子どもとも会えて、妻の顔を見て笑え、普通は落ち込みそうな気持ちになると思うが、自然とアップしていくようだ。

 

晩ごはんも頑張って平らげた。歯磨きも終えた。ICUではスマホが使えないので、仕事や世間の情報が入らない。一般病棟に移れるよう出来ることは頑張ろうと改めて心に誓った。

 

そうして3日目が過ぎていった。。。

 

 

大動脈解離 2日目(オペ翌日)

これは私が一昨年の11月に突如発症した病気について一日ごとに書き綴り、もしこの先、同じ病気に本人もしくは家族や知り合いがなった際の情報になればと願ったものである。

 

実際に私が発症した際に、妻は少しでも情報が欲しくて検索したようだがあまり見つからなかったと聞いた。それなら当事者である私が書けばよいと考えたところだ。

 

現在は順調に治癒している最中で、日常生活についてもほぼ普通に生活している。ブログのサブタイトルにある老活するぞという活力も出る始末だw

 

 

2日目(オペ翌日)

 

寝たような寝てないような状況のなか朝になった。体中から管が出ているのが気分的に滅入るそれと、呼吸するたび胸が動くので痛い。呼吸しずらい。

 

看護師さんが昨日言っていた『胸の骨を骨折したように痛いよ』骨折経験はないものの肋骨を何本か折れば、そりゃ痛いだろうと思ったが、呼吸もかという思いだ。

 

マイナスに考えても何も良いことはない。これも現実だと心に言い聞かせ、日にち薬であると自分自身で折り合いをつけた。

 

少しして看護師さんが来て朝ごはんを頑張って食べれば管が一本外せるよと言った。もう口から食べ物かと少々驚いたが、管が減るのなら、もちろん食べますと伝えた。

 

オペ翌日なので、お粥とオカズ少しだ。ベッドを起こしてもらい一口に入れた。胸が痛いので食べにくかったが、早く元通りに直したいと思い、頑張って完食だ。

 

『これで管が一本外れる』

 

食べ終わってホッとしていると、看護師さんが『歯ブラシとかないので口をゆすいでうがいする?」と、それで目の前の台に水を入れたコップと吐き出すための容器を置いてくれた。

 

口に水を含んでブクブ…?痛い!なんとブクブクと息を吐くのがとても痛いのである。そうか胸の骨が折れているような状態だと、肺から空気を出すことがこんなに痛いのか。

 

呼吸の時より激しいのか。当たり前に日常動かしている肺について、これほど深く考えたこともなかった。

 

当たり前の行為が出来ないことに辛さが一瞬こみ上げたがグッと押さえた。痛いながらもブクブクではないが、口に含んで顔を横に振って顔を下に向けて重力で出すという方法で。

 

ブクブクも痛いが、吐き出すということもかなり痛いので、重みで口から出すしかなかった。なんとか口をゆすぐことが出来た。疲れた。ベッドを戻してもらい目をつぶった。

 

少しして担当の先生が来てくれて、約束通り管を一本外してくれた。昼食も全部頑張って食べれた。ゆすぐのも頑張った。

 

午後、妻も来てくれた。幼稚園を終えた子供も義母と来てくれたが子供はICUには入れない。外で寂しがっているとのこと。頑張って早く一般病棟に行かなければとまた目標が増えた。

 

妻にはいろいろと心配と迷惑をかけているが、明るく振舞ってくれるので救われる。もともと明るく冗談が大好きな人なので、冗談ぽい話をしてくれ、そのたびに胸骨が痛い(^▽^;)

 

笑うことはかなり痛いので我慢するが耐えられない。我慢するほど笑いがこみ上げる。人間の本能だ。だけど痛い。

 

その痛さをこらえてるのをみて看護師さんが心配して飛んでくる。笑いをこらえてるとも言えず、痛み止めの点滴を使う。だけとまた笑う、痛いの繰り返し。

 

でもこうして明るくしてくれるのは幸せだ。かなり痛いがとても気持ちが晴れて良い。精神面はすごく上昇する。だが痛い(^▽^;)

 

そのうちに口を開いただけで、可笑しくなる始末。その都度、看護師さんが心配で飛んでくる。私が痛そうにするからだ、申し訳ない(^▽^;)

 

夕方になり妻、義母、会えていない子どもが帰った。さあ治すぞと小さく叫んだ。いっきにベッド周りが静かになり寂しくなった。

 

院長先生が来た。この先生もとても明るい人だ。昨日切った血管見たい?えっ?戸惑っているうちに持ってきてくれた(^▽^;)太くて大きな血管であった。

 

それと代わりに入っている人工血管と同じものも見せてくれた。端を折り返して縫ってあるから丈夫だとの説明。この数分間は院長先生に圧倒されまくりだった(^▽^;)

 

 

一般病棟に行くという目標もあり晩御飯も全て食べた。また管が一本減った。看護師さんが言うには口から食べるものが増えると、栄養が足りていくので点滴は減るとのこと。

 

食べるもので人間は出来ているという話しはよく聞くが、今、身をもって体験している。食べれる事が、生きていける事だと感じながら、今日も一日生きれた。

 

妻をはじめ全ての人やモノに感謝して寝ることにしよう。

 

 

 

 

 

 

大動脈解離 発症当日

これは私が一昨年の11月に突如発症した病気について一日ごとに書き綴り、もしこの先、同じ病気に本人もしくは家族や知り合いがなった際の情報になればと願ったものである。

 

実際に私が発症した際に、妻は少しでも情報が欲しくて検索したようだがあまり見つからなかったと聞いた。それなら当事者である私が書けばよいと考えたところだ。

 

現在は順調に治癒している最中で、日常生活についてもほぼ普通に生活している。ブログのサブタイトルにある老活するぞという活力も出る始末だw

 

 

 

◎発症当日(1日目)

 

微熱が朝になっても治まらないので、子供(年長さん男子)を幼稚園バスのバス停に送り、ママを横に乗せたまま大きな病院へ。

 

紹介状もないまま飛び込んだ。胸の真ん中に違和感があると受付で訴えたところ、少し待っただけで呼ばれ検査を受けることになった。

 

心電図の検査をしている途中から、私の周りが慌ただしくなってきた。先生たちが周りに集まり、携帯電話でそれぞれ喋りだした。

 

心電図が終了した時点では、すでにベッドから降りてトイレもダメ、オシッコは尿瓶ですることなった。廊下で待っている妻とも話すことができない状況であった。

 

心電図の担当の先生曰く、心臓の状態が悪いようなので、専門の病院に搬送するので心づもりしてくれとのこと。

 

???心づもりと言われても、全く脳みそが回らない。冷静に考えても、昨晩からの微熱が続き、それと胸の真ん中に少々違和感があるので、まあ念のためと思い来ただけなのに…???

 

それが一時間後にはトイレに歩いていけないほどの病人扱いだ。。。いったいどうなる?どこへいく?そもそも何だ?妻に伝えなきゃ?考えがグルグル回るが???だ。

 

そうこうしているうちにMRI(造影剤使用)とレントゲンの検査が終わり、救急隊員が数名きて、大急ぎで私をストレッチャーに乗せ換えた。

 

『自分で乗れますよ』という私の言葉を『任せてください』という強い言葉ではね返され、退院の真剣な目を見た時に、これは大変な病気になったと、ようやく頭の中が整理されてきた。

 

ただし自分で動くことが許されない病気って何だ?聞こうにも周りは慌ただしく動き、質問できる状況でもない。

 

少ししてストレッチャーで救急車の中へ乗り込んだ。ここで初めて妻と会えた。相当ショックを受けたであろう顔のまま一緒に救急車に乗り込み、搬送先の病院へ走り出した。

 

先ほどの病院の先生も救急車に乗っていた。申し訳ない気持ちでいっぱいである。幸い自宅に近いところの病院に搬送されるようだ。私は会話も出来るくらい普通の状態が続いていた。

 

先ほどの病院に置いたままのクルマのことや、午後には幼稚園からもどる子どものことも頭によぎるが搬送中の私にはどうすることもできない。妻も同じだ。

 

約20分位で搬送先の病院に到着。ここでも私の体調は微熱程度なので、全て聞こえているし、見えているし、理解できる状態だ。

 

院長先生らしき人が私に『大動脈解離なので、午後からオペするよ、大丈夫、このオペは何百回とやってきているから』と割と明るい口調で話す先生だ。明るい口調は救われる。

 

私も笑顔で『手術ですか~、手術しなければどうなりますか~』と聞くと、先生『このままだと死ぬ』『この病気で運ばれて、普通に喋れているのは珍しい』とのこと。

 

ほとんどの人は胸の痛みで苦しくてもがいたり、救急車が到着した段階で亡くなることも少なくないという話しも聞き、この病気の怖さを少しずつ受け入れていけた。

 

ただし私は普通に喋れる状態で今ココにいるので、それはとてもついていると感じていた。

 

妻は近くにはいなかったが、『ごめんね迷惑をかけます』という思いの中、手術を受け入れようと頭の中を整理していた。

 

若い看護師(男性も数名)さんが手術のための剃毛や点滴や準備を始めた。すでに「まな板の鯉」状態で、『よろしくお願い致します』という気持ちで落ち着いてきていた。

 

手術の時間になり、ベッドが運ばれ途中で妻がいた。目が合った。頑張って笑顔で頷いていた。行ってくるねと言えた。涙があふれた。そして手術室へ入った。

 

手術は初めてなので、麻酔はどんな感じなのかと思いながら、目をつむった。瞼には天井にあるライトが映り、これから始まるのかという思いで静かにまった。

 

少しして肩をトントントンとたたかれた。ん、麻酔が始まるのかと目を開けた。やけに眩しい。耳もとで看護師さんが『終わりましたよ、うまくいきましたよ』

 

えっ

 

よく見ると口から管が、体も管だらけになっていた。看護師さん曰くオペは5時間で、血管の置き換え手術はとてもうまくいったとの話。

 

麻酔の威力は凄い。全くわからないだけではなく、いつ麻酔が始まったのかも解らなかった。点滴に睡眠剤が入っていたのかこれほど麻酔が利くとは驚いた。

 

後で聞いた話しだが、胸のセンターを30センチ切り、肋骨をセンターで繋いでいる胸骨という大きな骨を真ん中で切る。

 

それで肋骨を大きく開いて、心臓から出ている大きな血管、いわゆる大動脈を10センチ切り取り化学繊維で出来た人工血管と取り換える手術だ。

 

そもそも私の病気は大動脈という血管内壁が裂ける病気で、これが大きく裂けて破れると死亡するということだ。だから搬送の前に動くリスクを回避していたのかと理解できた。

 

当然、心臓の手術なので、心臓と肺をいったん止めて人工心肺という機械で生かし手術する。それは右足の付け根を10㎝深く切り太い血管とつないでいたようで今でも大きな傷あとだ。

 

5時間もの間に、妻が辛い説明を聞いて署名したり、義母が子どもをバス停まで迎えに行ってくれたり、兄夫婦が遠いところから駆けつけてくれ、みんなに心配かけ申し訳なくおもう。

 

よく見ると体中から点滴などの管があった。ICUの先生からは今回のオペでは胸の骨を切っているので、肋骨を骨折したのと同じなので、痛みについては覚悟するよう話しがあった。

 

たしかに息をするだけでも痛い。痛み止めの点滴をしてもらうことと、ICUなので近くに担当の看護師さんがいて、またこの人たち(男性女性各1名)が親切で明るい。

 

麻酔が覚めてからは、なかなか深い眠りにはつけなかったが、看護師さんたちが都度声をかけてくれたりするので安心の中夜が更けていった。

 

 

 

 

 

大動脈解離について

考え方の修正のキッカケになった

一昨年の大動脈解離の発症

そして緊急手術

当時56才、子どもの小学校受験など忙しい中で、公園で一緒に走ったり、市民プールで一緒に泳いだり、思えばパワフルに活動していた。

その数ヶ月前には親父が亡くなり、葬儀等の段取りも重なっていた。

それでも体調を崩すこともなく、逆に前述のようなパワフルさで動きまわっていた。

それが緊急手術の当日の朝方

もしくは夜明け前

胸のあたりに違和感を覚え

痛いとかムカムカするでもなく

微妙な違和感が

ゾワゾワするといった、これまで

感じたことのないものが…

一年前から腕も上がらないくらい痛くなっている左の五十肩は関係ないようだし

違和感は胸の真ん中あたり全体にだ

そうこうしている間に朝になり

会社に行く準備をはじめた

念のため熱を測れば

微熱があったが、今日は打ち合わせを

私が設定した分があったので

微熱くらいならと思い

いく準備を続けた

その間も違和感は続いたのと

『何か違うぞ』というココロの声が

大きくなってきた。

いわゆる第六感が働いたので

打合せを急遽調整し病院へ行くことに

近くの個人病院という選択もあったが

なんとなく大きな総合病院に向かって

クルマを走らせていた。

もちろん横には妻が付いてきてくれていた。

この後、受付から検査、搬送、手術と

急展開していく

日々元気に過ごしていても体の中はどうなっているのか測れないしわからない。

まして自覚症状もなく、年に一度の健康診断はほぼ正常値であった

そのように過ごしていた私を襲った

病気について少しでも共有することで

あまり知られていない大動脈解離という

病気について理解してもらえればと思う

来院から退院までこれから1日ごとに日記形式で発信していくので少しでもこの病気について知ることで何かのお役に立てれば幸いである。

ドラマ「テセウスの船」

妻の薦めもあり、

久しぶりにテレビドラマを観た。

『テセウスの船』だ。

父親の起こした28年前の殺人事件について冤罪の可能性を探ろうと初めて事件を正面から向き合う決心をした途端、事件の半年前にタイムスリップし当時の父親や母親と会い物語が進む。

主役は竹内涼真。以前ドラマ『下町ロケット』で好きになった俳優だ。

父親役は鈴木亮平。私は顔が似ているとよく言われるので親近感のわく俳優だ。

この2人だけでも見る値打ちを感じる。

第1話も面白かった。

2話以降も楽しみだ\(^-^)/

このようにドラマも考え方を変えてみると、とても手ごろな趣味とも言える。内容の共有からコミュニケーションに発展することも考えられる。

漫然と見るのはやめて、趣味としてテレビを活用するのはアリだと思う。ほとんどの人はそうしているのかもしれないが私は漫然と見ることが多かった。

少しオーバーな考えとも思うが、定年後もいきいきと生きていくための老活だと捉えれば全てが楽しく思える。

Challenge for next life【50代からの老活で、定年後もいきいきと】

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